
11月最後の連休は満室御礼! 多くのお客様にお運びを頂き、誠にありがとうございました。
最終日の今日はお昼頃からあいにくの空模様。夜になって雨脚が強まってきました。明朝は雪がちらつくかもしれません。
朝食の時「これからサファリパークへ行きます!」と、目を耀かせていた男の子、午前中に動物達を見て回れたのかちょっと心配です。
さて、今月いっぱいで姿を消す『0系新幹線』
鉄道マニアではない私にとっては『ひかり号』と言った方がピンっときます。
♪びゅわ~んびゅわ~んはっしっるぅ~ 青い光の超特急 じそ~く250キロ すべ~るようだな はっしっる~ びゅわ~んびゅわ~んびゅわ~ん はしるぅ~♪
小学生の頃、童謡集に必ず入っていたひかり号の歌ですが、7つ歳下の家内は知りませんでした(涙)
43歳になる私、実は新幹線には数えるほどしか乗ったことがありません。
おそらく4往復くらいで、そのうち3往復は0系。数年前に京都から東京まで『のぞみ』に乗った以外は子供の頃の思い出です。
昭和40年代、その当時の子供にとって、ひかり号とジャンボジェットは垂涎の的で、夏休みにどちらかに乗ったなどと言ったひにゃあ、それはそれは話題の中心でした。
私はそのころから飛行機マニアだったので圧倒的にジャンボジェットに憧れていたのですが、やはり『ひかり号』だけは別でした。
初めてひかり号に乗ったのは確か小学校4年生の夏休み。
相模湾に浮かぶ小さな島『初島』へ海水浴に連れて行ってもらったとき、東京から熱海まで『こだま号』で0系に乗りました。
いつ走り出したかわからないほど滑らかで優しい走り出し、その後窓の外を流れる景色の速い事といったら尋常ではなく、買ってもらったジュースや冷凍ミカン、チキンライスのお弁当の事などすっかり忘れて窓にかじりついていたのを覚えています。あっというまに熱海到着。降りるときには既に帰りのひかり号が待ち遠しくてならないといった心理状態でした。
東京オリンピック・大阪万国博覧会と我が国の超ビッグイベントの動脈的存在であり、また、全国の子供達の羨望の的といった存在、そして我が国の経済発展をガッチリ支えてくれた『ひかり号』。
つきなみな言葉ではありますが、「ありがとう」と声を掛けてやりたいって素直に思います。
昭和を支えてくれた乗り物、ボーイング747-100.200 ダグラスDC-8 ボーイング727・737 YS-11 EF65 EF66 ・・・ そして『ひかり号』 今思い出せばどれも皆耀いています。
0系ラストラン。男はいつになっても『乗り物好き』なんだなと、つくづく感じるニュースでした。
(写真はYahooニュースより)
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